神戸地方裁判所 昭和51年(行ク)9号 決定 1976年7月09日
申立人 汪萬益 ほか三名
被申立人 神戸入国管理事務所主任審査官
訴訟代理人 河原和郎 河田穣 石田赴 ほか二名
主文
被申立人が申立人注萬益に対し昭和四一年二月一五日発付した退去強制令書に基づく執行および、被申立人が申立人注羅純枝、同注俊龍、同江美玲に対し昭和五〇年七月二八日発付した退去強制令書に基づく執行は、いずれもその送還部分にかぎり、本案訴訟の判決の確定に至るまでこれを停止する。
本件申立のその余の部分を却下する。
申立費用は申立人らの負担とする。
理由
一 申立人らの申立の趣旨および理由は別紙(一)および別紙(二)記載のとおりであり、これに対する被申立人の意見は別紙(三)意見書記載のとおりである。
二 当裁判所の判断
1 申立人らが被申立人に対して、本件執行停止申立と同時に、被申立人が申立人注萬益(以下単に「申立人注」という)に対し昭和四一年二月一五日発付した退去強制令書(以下「本件令書(一)」という)および被申立人が申立人注羅純枝、同注俊龍、同注美玲に対し昭和五〇年七月二八日発付した退去強制令書(以下「本件令書(二)」という)が無効であることの確認を求める訴(当庁昭和五一年(行ウ)第一六号行政処分無効確認請求事件)を神戸地方裁判所に提起したことは当裁判所に明らかである。
本件記録によれば、申立人らに対する本件令書(一)、(二)発付の経過とその執行の状況および申立人らの本邦における行動歴は、申立人江は昭和四二年二月頃左変型性股関節症のため九州大学付属病院に入院して手術を受け、同年六月退院して間もなく本件令書(一)の執行を免れるため逃亡し、その後水戸市にある中央病院で一〇カ月間前記傷病の治療を受け、昭和四三年兵庫県に戻り、同四五年頃から貴金属加工の仕事を始めるようになり、重度身体障害者に対する貴金属加工技術指導を目的として昭和五〇年九月「有限会社北野宝石研究所」を設立し、その代表取締役に就任し、同社の運営並びに重度身体障害者に対する右技術の指導を行つて現在に至つていること、申立人江羅純枝、同江俊龍、同江美玲は出入国管理令四条一項四号(観光客)に該当する者として昭和四五年一一月から同四九年九月四日の今回の来日まで四年間、六回にわたり来日し、一回の滞在期間大体六カ月ないし八カ月で本邦に滞在していること、申立人江俊龍、同注美玲は、来日後台湾の学校を中退し、昭和四六年から神戸市生田区所在の神戸中華同文学校に入学し、現在それぞれ同校の中学部二年および小学部五年に在籍していること、がそれぞれ認められるほか、おおよそ被申立人の意見書第二の一記載のとおり(但し、同項(五)の、申立人江が神戸入管入国審査官の認定に服したとの点および、同項(七)の申立人江が密貿易容疑により捜査を受けたとの点はのぞく)のとおりの各事実が認められる。
右事実によると、本案判決の確定をまたずに本件令書(一)、(二)に基づき申立人らの国外への送還部分が執行されてしまうならば、申立人らは事実上本案訴訟の追行の目的を失い、たとえ右訴訟で勝訴判決を得ても回復することの困難な損害を蒙ることは明らかであり、かつその損害を避けるため本件各処分のうち申立人らに対する各送還部分の執行を停止する緊急の必要があるというべきである。
2 被申立人は、本件令書(一)、(二)の送還部分の執行を停止することは公共の福祉に重大な影響をおよぼすおそれがあると主張するが、前記認定した事情のもとにおいては、右各令書の無効確認請求訴訟の係属している申立人らを即時退去させなければ公共の福祉に反するとまで認め難い。すなわち申立人らに対する強制送還部分の執行を停止することが公共の福祉に重大な影響をおよぼすおそれがあるとは認められない。
3 被申立人は本件申立は本案につき理由がないとみえるときに当ると主張し、なるほど前記認定事実によれば申立人らがいわゆる不法残留者に該当することは明らかである。
しかしながら、現段階において本件令書(一)、(二)が違法とされる余地が全くないということはできず、全疎明資料をもつてしても、未だ本案につき理由がないことが明らかであるとは認めるに足らないので右主張は採用しない。
4 申立人らは本件令書(一)、(二)に基づく収容部分の執行停止をも求めているので検討する。
申立人らは、「収容の目的が送還のための身柄確保である以上送還部分について執行停止の必要が認められるなら、収容についても、退去強制命令が発付された者が逃亡するおそれがあるという事情がある場合をのぞき、その目的を失つたものとして原則として執行が停止されるべきであり、収容処分について回復困難な損害をさけるための緊急性等はその執行を停止する要件としては不要である」旨主張する。
しかしながら、在留資格制度を根幹とする我国の出入国管理制度に照らすと、退去強制令書の執行による収容は、単に送還のため身柄を確保するためのみならず、退去強制令書が発付された者を隔離し収容所外における在留活動を禁止するための措置でもあると解されるのであり、また、送還と収容とは可分的行政処分と認められるからその停止についてはそれぞれ法定の要件の存否が検討されるべきものである。
従つて、退去強制令書の発付された者につき、送還部分の執行停止が認容されるからといつて、申立人ら主張の如く逃亡のおそれがあるという事情がない限り収容部分の執行の停止もなされるべきものと解すべきいわれはない。
そこで本件についてみるに、前記認定事実および本件疎明資料によれば、申立人江は昭和五一年六月一七日現在未だ前記左変型性股関節症の症状が強く、手術(股関節固定術)を行う必要があり、また、前記有限会社で同申立人から技術指導を受けている重度身体障害者三名は同申立人が収容されれば技術指導が受けられなくなり、ひいては右習得技術で貴金属を製造加工して得ている生計の途もたたなくなるおそれがあるのみならず、右会社の営業自体の継続もできなくなること、申立人江俊龍、同注美玲は収容されることになれば就学の機会が失われること、以上の事実は認められる。
しかしながら、まず行訴法二五条二項にいう(回復の困難な)損害とは、当該個人の個人的権利、利益の損害に限られるのであつて、第三者の損害や公共的損害自体は右条項にいう損害には当らないと解されるのであるから、前記有限会社や、申立人圧から技術指導を受けている身体障害者ら第三者の蒙る損害をもつて直ちに右条項にいう損害に当るとはいえない。
また、収容に通常伴う不利益を受けるからといつてもそれだけでは未だ回復困難な損害ということはできないというべきであるところ、本件記録によると、申立人注が送還されるまで収容されることとなる入国者収容所は診療施設上、診療、手術を受けることも不可能ではないと認められるのであり、右申立人の意に完全にそう手術を受けられないとしてもこの点は収容に通常伴う不利益の域を出ないというべく、また就学内容、学年からみて、申立人注俊龍、同注美玲が収容に伴い就学不能となることにより蒙る不利益や、更に、前記有限会社の営業が申立人注の収容により継続不能となることによつて同申立人自身が蒙る不利益もいずれも収容に通常伴う不利益の域を出ないものというべきである。
そして他には、前記認定の申立人らの本邦入国後の生活状況、本件記録にあらわれた資料によつても、収容に通常伴う不利益以上の損害が生ずる状況にあるとは認められない。
従つて、収容部分の執行により申立人らに回復し難い損害が生じかつこれを避けるため緊急の心要があるということはできない。
5 以上の次第で申立人らの本件申立は、本件令書(一)、(二)に基づく処分のうち送還部分につき本案判決が確定するまでこれを停止することを求める限度において理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを却下することとし、申立費用の負担につき民訴法八九条、九二条を適用して、主文のとおり決定する。
(裁判官 中村捷三 武田多喜子 赤西芳文)
別紙一、二 申立の趣旨及び理由<省略>
別紙三 申立の趣旨及び理由に対する意見書<省略>